宝泉寺禅センターの使命
人は人生という旅路の途中で、様々な困難に遭い、時には道に迷うこともあります。そうした人たちに、一度立ち止まって、自分自身を振り返る時間と場所を提供することが私たちの使命であると考えています。
静かな環境の中で、「禅の生活」を通して、自分自身とじっくりと向き合ってみる。これは、人生に活路を見いだすために行わなくてはならない大切な作業です。困難な状況に陥ったときこそ、この作業は特に意味を持ってきます。
宝泉寺禅センターでは、坐禅、規律のある生活、そして修行仲間とのふれあいのある「禅の生活」通して、自分と向き合い、それによって人として成長し、疲れた心を癒やし、明日への生きる勇気を取り戻して頂きたい、と私たちは考えています。
宝泉寺禅センターは、既存の坐禅修行という枠を超えて、現代社会の中で苦しみ悩む人々に、今なにが必要なのかを見いだし、現代に最も即した方法で「修行」の場を提供してゆきます。
プロフィール
宝泉寺住職 吉野 克厳
1963年生まれ
・早稲田大学第2文学部
・John F. Kennedy Univ.大学院
トランスパーソナル心理学修士
・京都文教大学大学院
臨床心理学修士
・臨床心理士・公認心理師
20代より、鎌倉の禅寺にて、居士として参禅。以降、禅と心理学の融合を追い求めている。宝泉寺にて得度後、臨済宗の僧堂にて修行。
社会経験も豊富で、通産省(現経済産業省)の外郭団体職員や商社での勤務経験がある。 |
修行前の、ひとこと
「いつも、いまここが、修行の場」
一般に「修行」というと、非日常的な場所で、坐禅をくんだり、滝に打たれたりといったことを、想像しがちですが、本当の修行というものは、「いま、この場所」を離れてあるものではないと考えています。日常生活において、いま、目の前にあること、やらなければならないこと、身に降りかかる災難、あるいは病気、人間関係、そうしたものすべてに向き合い、そこに潜んでいるメッセージを受け取り、成長し、変容していくことが、この世という修行道場に生まれさせていただいた、私たちの生きる意味なのだと感じています。「いま、ここにあるすべてのできごと」こそ、私たちにとっての、最高の修行の場なのです。
禅の修行においては、過去にとらわれず、未来を思わず、「前後を裁断」して、「いま、ここ」を真剣に生きることが求められます。目の前の課題から目を背けずに、一所懸命に取り組んでいくことが大切だと言われます。困難な状況に陥ったとき、そこから抜け出す一番の近道は、困難から逃げようとせずに、いまここにある問題に直面していくことだと確信しています。その道は、厳しくつらいものですが、とにかく向かい合い続けていけば、やがて必ず何らかの形で、道が開け、その困難をのり越えて行くことができます。
普通、自分にとって好ましくない状況を、私たちは忌み嫌い避けようとしますが、禅の修行では、すべてのできごとを「合掌の心」で受け取っていく生活をします。それができる人は修行の途中にありながら、すでに修行の目的地(悟りの世界)に生きている人なのかも知れません。
「当処、すなわち蓮華国
(ほかでもない、苦しみ、悲しみが沢山ある、いま私たちが生きている世界こそ、悟りの世界)
この身、すなわち仏なり
(そして、そこに生きている、私たちは、みんな仏さま)」 白隠
良い御修行となりますことを。 合掌